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縄文時代と弥生時代の違い

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水稲耕作

弥生時代になると、水稲耕作(すいとうこうさく)が広く伝わり、稲作、つまり米を作ることができるようになりました。縄文時代では、野草をとったり、魚をとったり、イノシシを捕まえたりといった方法でしか食料を調達できませんでしたが、弥生時代になると、水稲耕作により、自分たちで管理して増やす食料を用意することができました。

道具の発達

まず、土器は弥生土器と呼ばれるものになり、デザインはシンプルになりますが、用途別にいくつかの種類が作られるようになりました。また、稲を収穫するための石包丁(いしぼうちょう)が使われたり、農業に必要な様々な木製の道具が使われるようになりました。

また、縄文時代にはなかった、銅や鉄といった金属製の道具なども使われるようになります。

身分と国

縄文時代には身分の差はなく、どのお墓も似た大きさ、似た量の副葬品しかありませんでしたが、弥生時代になると身分の差が大きくなっていき、一部の墓は大きくなり、副葬品の量も増えていきました。

弥生時代の後半になると、日本の各地に小さな国が出現し、各国には首長が現れ、その集まりが倭国(わこく)となり、中国との交易がありました。西暦107年には、倭国から当時の中国へ160人ほどの奴隷が献上されており、身分の差が激しいことがわかります。

埋葬

縄文時代の埋葬方法は、手足を折り曲げる屈葬(くっそう)でしたが、弥生時代では、体をまっすぐの状態で埋葬する、伸展葬(しんてんそう)へと変化しました。

争い

縄文時代の人骨からは争いの痕跡は見つかっていませんが、弥生時代の人骨からは、矢が刺さったり、頭がない状態の人骨が発見されており、争いが激しかったことが分かります。

弥生時代の集落は、濠(ほり)や柵(さく)で囲われており、敵から防御する必要があったこともわかります。



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