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日本史の流れ

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旧石器時代

約600万年前にアフリカで生まれた猿人が進化し、原人、旧人となり、そして約15万年前には、アフリカで新人が生まれ、大陸を移動し、約3万5千年前には日本での生活を始めていたとされています。

旧石器時代には、石器が使われ、手で直接持って使うようなシンプルなものが、木などでできた柄につけて使うようになるなどの進化がありました。旧石器時代は、石器が発達した時代です。

縄文時代

縄文時代は、約1万6千年前に始まり、土器が作られるようになりました。石を磨いて作った磨製石器や、小さな動物を狩るための弓矢も使われるようになりました。

土器のおかげで、野草や木の実を煮ることができるようになり、食生活もより豊かになりました。縄文時代は土器の発達が主な時代です。

弥生時代

弥生時代は、紀元前1000年頃から始まり、水稲耕作が始まりました。また、銅や鉄といった金属でできた道具などが使用されるようになりました。農耕の開始により、階級が生まれ、集落同士の貿易や対立もあったようです。

土器や道具も用途別に進化し、機織も始まりました。

2世紀の終わりごろには、卑弥呼を女王とした邪馬台国連合という、いくつもの国が集まった連合が生まれました。

古墳時代

3世紀後半頃に、権力者のための大きな墓、古墳が生まれてきます。古墳がたくさん作られたこの時代を古墳時代と呼びます。近畿地方のあたりには、政治連合であるヤマト政権が誕生しました。

朝鮮半島や中国との交流が盛んになり、その際に日本に来た渡来人によって、弥生土器などの技術が発展しました。

ヤマト政権により、氏姓制度が生まれ、蘇我(そが)氏や物部(もののべ)氏が生まれました。

飛鳥時代

推古(すいこ)天皇が天皇になった592年から飛鳥時代が始まり、奈良県にある明日香村(飛鳥)を中心に政治が行われます。593年には厩戸(うまやと)王(聖徳太子(しょうとく たいし))が政権に参画しました。

603年に冠位十二階(かんい じゅうにかい)の制、604年に憲法十七条(けんぽう じゅうしちじょう)が制定されました。冠位十二階は実力などによる階級制度で、憲法十七条では政治や道徳における基本的なルールが定められています。

飛鳥時代には、仏教が広く信仰されるようになり、飛鳥寺(あすかでら)、四天王寺(してんのうじ)、法隆寺(ほうりゅうじ)などが建てられています。

646年から、いくつかの政治改革が行われ、これを大化の改新と呼びます。改革の1つとして、戸籍が作られ始めました。その後には、通貨として富本銭(ふほんせん)も作られるようになります。

694年に藤原京(ふじわらきょう)が完成し、701年には大宝律令(たいほうりつりょう)が完成しました。

奈良時代

710年に平城京(へいじょうきょう)へ遷都(へんと)され、奈良時代となります。この時代には、藤原(ふじわら)氏が力を強めていきます。

鉄製の農具が普及し、住居は、竪穴住居から掘立柱のものへと変化していきます。743年に墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)が登場し、開墾した土地の所有が永代にわたって認められるようになりました。これにより、貴族などの権力者が農民などを労働力とし、開墾が盛んになりました。これを初期荘園(そうえん)と呼びます。

752年には、奈良県にある東大寺の大仏が完成しました。

この時代では、天平(てんぴょう)文化が発達し、古事記(こじき)や日本書紀(にほんしょき)が完成し、風土記(ふどき)や万葉集(まんようしゅう)も生まれました。また、様々な彫刻、絵画、工芸品も作られました。

平安時代

794年に平安京(へいあんきょう)が完成し、平安時代となります。

858年に清和(せいわ)天皇が即位し、藤原良房(よしふさ)が事実上の摂政(せっしょう)となり、866年に正式に摂政となります。また、884年に藤原基経(もとつね)が関白(かんぱく)となります。この政治を摂関(せっかん)政治と呼びます。摂関政治は、天皇の権限の一部を代行するものです。

文化の面では、古今和歌集(こきんわかしゅう)、竹取物語(たけとりものがたり)、源氏(げんじ)物語、枕草子(まくらのそうし)、土佐日記(とさにっき)が登場します。また、ひがらなや、カタカナも登場します。

10世紀には、源氏(げんじ)や平氏(へいし)といった武士が登場します。

11世紀の終わりごろには、天皇を退位した上皇(じょうこう)が政治を行うようになり、院政(いんせい)が始まりました。

鎌倉時代

11世紀は平氏が力を強めていきましたが、1180年に源頼朝(みなもとのよりとも)が挙兵し、同じく1180年に鎌倉に侍所(さむらいどころ)を作り、1185年、壇の浦の戦い(だんのうらのたたかい)で平氏を滅ぼします。

同じく1185年に、頼朝は朝廷から守護・地頭(しゅご・じとう)の任命権を得て、軍事的な権力を握り、鎌倉幕府(かまくらばくふ)が成立し、鎌倉時代となります。1192年に頼朝は、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となりました。

鎌倉時代には、封建制度(ほうけんせいど)が生まれます。これは、幕府の将軍と、その将軍と主従関係を結んだ武士である御家人(ごけにん)がいて、御家人が将軍に軍事力を提供する代わりに、御家人が持つ土地の支配権を認めてもらう制度です。

このころ、御家人の中でも力を強めていた北条氏(ほうじょうし)が台頭し、北条時政(ときまさ)が執権(しっけん)となり、政治を主導するようになります。

1221年の承久の乱(じょうきゅうのらん)により、幕府軍が朝廷軍に勝利し、幕府はますます力を強めていきました。そして、1232年には、武家における基本的なルールを定めた、御成敗式目(ごせいばいしきもく)が制定されました。

この時代には蒙古襲来(もうこしゅうらい)があり、1274年の文永の役(ぶんえいのえき)、1281年の弘安の役(こうあんのえき)と2度、日本は防衛することになります。これにより、幕府の権力はさらに強まりました。

建武の新政

幕府に不満のあった後醍醐天皇(ごだいご)は、1324年の正中の変(しょうちゅうのへん)、1331年の元弘の変(げんこうのへん)と2度、討幕を試みますが失敗。しかし、後醍醐天皇に関係する人物や、その他、幕府に不満を持つ御家人たちにより、1333年に鎌倉幕府は滅亡します。

その後、後醍醐天皇による天皇主導の政治(建武(けんむ)の新政)を開始しますが、これにも不満が集まり、足利尊氏(あしかがたかうじ)によって京都が制圧され、1336年に終わりを迎えます。

室町時代

1336年に足利尊氏が建武式目(けんむしきもく)を制定し、室町幕府(京都)が作られ、1338年に尊氏が征夷大将軍となり、室町時代となります。

後醍醐天皇は奈良県の吉野(よしの)へ逃げ、南朝を主張し、室町時代と同時に南北朝時代も開始しますが、1392年に南朝の後亀山天皇(ごかめやま)から北朝の後小松天皇(ごこまつ)へ譲位され、南北朝合体がおこり、南北朝時代は終わります。

室町幕府は、国ごとの守護の権限を強めてゆき、守護のその土地での支配が強まり、守護大名へと変化していきます。

鎌倉時代の終わりごろから、荘園の中に惣村(そうそん)と呼ばれる村ができ、農民が団結し、自治がおこなわれるようになりました。そして、15世紀中ごろから、領主に不満をぶつける土一揆(つちいっき)が発生するようになりました。

1467年に始まった守護大名同士の戦い、応仁の乱(おうにんのらん)は京都を戦場としたため、京都が荒廃し、室町幕府の支配力は衰えました。その代わりに、各地の勢力が戦国大名へと変化していきました。戦国時代の始まりです。

1543年にポルトガル人が種子島に着き、鉄砲が伝来し、1549年には、鹿児島にフランシスコ=ザビエルが鹿児島に着き、キリスト教も広まっていきます。その後、ポルトガルやスペインと貿易を行う、南蛮貿易(なんばんぼうえき)が始まります。

1560年に織田信長(おだのぶなが)が、桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)で今川義元(いまかわよしもと)を倒し、1575年には、長篠合戦(ながしのがっせん)で武田勝頼(たけだかつより)を倒します。しかし、1582年に起きた本能寺の変(ほんのうじのへん)により、明智光秀(あけちみつひで)に倒されてしまいます。

本能寺の変の後、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が山崎の合戦(やまざきのがっせん)で明智光秀を倒し、その後も他の大名を倒したり降伏させることで、1590年に天下統一を果たします。

1582年には、豊臣秀吉により太閤検地(たいこうけんち)が始まり、全国で面積などの単位を統一し、1588年には、一揆を起こさせないようにするために刀狩令(かたながりれい)が発せられました。

天下統一をした後、豊臣秀吉は大陸をも征服しようと、1592年の文禄の役(ぶんろくのえき)、1597年の慶長の役(けいちょうのえき)と2度、朝鮮へ出兵しますが失敗します。慶長の役の途中で豊臣秀吉が亡くなり、豊臣政権は弱体化します。

江戸時代

1600年に徳川家康(とくがわいえやす)が、関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)で石田三成(いしだみつなり)を破り、1603年に征夷大将軍となり、江戸幕府を開き、江戸時代が始まります。1614年の大坂冬の陣、1615年の大坂夏の陣により、豊臣秀頼(ひでより)を倒しました。

1615年には、将軍と大名とのルールを決めた、武家諸法度(ぶけしょはっと)が作られ、3代将軍である家光は、参勤交代(さんきんこうたい)を追加します。これは、大名の妻と子供は常に江戸に住まわせるようにし、1年おきに1年間、大名が江戸に住むようにさせるものです。

1624年にスペインからの来航を禁止し、1639年にはポルトガルからの来航を禁止し、鎖国体制を築いていきました。

鎖国体制の間に、欧米諸国はどんどん発展し力を増しており、1853年6月のペリー来航をきっかけに、幕府は鎖国体制をやめ、開国します。貿易により、大量の物資が輸出、流出し、国内の経済は大混乱します。また、外国に屈して開国した幕府への不満が薩摩藩や長州藩などで高まっていきます。

明治時代

幕府の力が弱まる一方で、薩摩藩、長州藩、土佐藩などの力、影響力が強まっていきました。そして、1867年の大政奉還(たいせいほうかん)により、政権が幕府から朝廷へと移り、1868年に討幕派である薩摩、長州などにより、明治新政府が作られます(明治時代の始まり)。同年には戊辰戦争(ぼしんせんそう)がおこり、新政府に不満のある旧幕府軍と新政府軍がぶつり、1869年に旧幕府軍が破れ、新政府が政治を行うようになります。

1869年に、各大名が支配する土地と人を天皇に戻す版籍奉還(はんせきほうかん)、1871年には、藩を廃止して県を作る、廃藩置県(はいはんちけん)が行われました。そして府知事などが地方行政を行うこで、新政府による中央集権体制が完成しました。

この頃から政府は、欧米に負けない国を作るために、欧米の技術、知識を国内に取り入れようとします。また、1871年には、お金が円、銭などに統一されました。この年には郵便も始まります。

1869年から電信のネットワークが作られ始め、1872年からは鉄道、小学校も作られるようになります。1882年には日本銀行が作られました。

士族の権利も廃止されるものが多く、またこれらの急な改革のため、士族の不満が高まり、西郷隆盛(さいごうたかまり)を中心とするグループと、政府軍が衝突し、1877年に西南戦争(せいなんせんそう)が起きました。政府は徴兵制などを実施していたため、これを徴兵した軍で破りました。

政府への不満は言論による自由民権運動を起こすようになり、1881年に政府は、1890年に国会を開設することを約束することになりました。そして、政党が作られるようになります。

1885年に内閣制度が制定され、伊藤博文(いとうひろぶみ)が初代内閣総理大臣となり、1889年には、大日本帝国憲法が発布されました。

日清戦争

軍事力をも強めていた日本は、1894年7月に清国と衝突し、8月に日清戦争(にっしんせんそう)が始まります。清国の軍事力は低く、また国内の情勢もよくなかったため、日本の勝利でおわります。この戦争は、ロシアが日本に対し警戒することとなります。

日露戦争

日本国内でロシアに対する反感が高まり、ロシアとの対立も増え、1904年2月に日露戦争が始まりました。1905年5月にはロシアのバルチック艦隊を破り、日本が優勢となっていました。ただ、戦争を続けるのは経済的に厳しかったため、アメリカに仲介を頼み、1905年9月にポーツマス条約が結ばれ、戦争は終わりました。戦争が途中で終わったとはいえ、日本が優勢となっていたことは、世界を驚かせました。

日本はこれに勢いづいてしまい、大陸へ軍事的に進出しようとし、特にアメリカから警戒されることとなります。

大正時代

1914年8月、第一次世界大戦がはじまり、1918年11月に終わりました。この頃の日本は、経済的にも軍事的にも、欧米と肩を並べるほどになっており、欧米からは警戒されるようになっていました。1921年に開かれたワシントン会議により、東アジアではアメリカ、イギリス、日本の3か国の協力関係をむすび、ワシントン体制という国際秩序が作られました。

世界的に軍縮と強調が進められ、日本もその流れに従います。ただし、軍などからは反発もあったようです。

昭和時代

1930年ごろ、中国では反日民族運動が激しくなり、日本軍はこれを武力で鎮圧しようと考えます。1931年には満州事変がおこり、日本の関東軍は満州を侵略しました。軍の暴走が始まり、協調路線にあった世界から日本は孤立しはじめます。日本軍は再び軍事力を高めることをし、戦争の準備を始めました。

1932年5月に五・一五事件(ご・いちご)が発生し、日本の海軍の青年将校たちが、首相である犬養毅(いぬかい つよし)を殺害し、その後、海軍の斎藤実(さいとうまこと)が内閣となり、海軍が権力を握ります。その後も軍が政治にどんどん介入していきます。

そして、1937年に日中戦争、世界では1939年に第二次世界大戦が始まりました。1940年9月には日本、ドイツ、イタリアの3国で日独伊三国同盟(にちどくいさんごくどうめい)が結ばれました。

1941年12月に日本の海軍がハワイ真珠湾攻撃を行い、太平洋戦争がはじまりました。しかし物資の量でもかなりの差があったため、日本は劣勢となり、1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下され、同月9日には長崎にも投下されました。14日にはポツダム宣言が受諾され、日本は無条件降伏し、戦争は終わりました。

戦後

戦後の日本は1952年まで連合国の占領下となり、GHQにより、軍国主義を徹底的に排除され、民主主義で、自由と人権が保障される国へと改革されていきます。1946年に政党政治が復活し、同年11月3日に日本国憲法が公布され、1947年5月3日に施行されました。

1951年にサンフランシスコ講和条約に参加し、サンフランシスコ平和条約に調印し、日本は独立します。これと同時に、日米安全保障条約も結ばれました。1954年には、自衛隊がうまれます。

1955年、日本民主党と自由党が合流し、自由民主党がうまれました。1956年には、日ソ共同宣言に調印し、ロシアとの戦争状態が終わり、同じ年には、日本が国際連合へ加盟することになりました。

1965年、日韓基本条約がむすばれました。

戦後、小笠原諸島や沖縄はアメリカのものになっていましたが、1968年に小笠原諸島が返還され、1972年には沖縄も返還されました。また、日中国交正常化のために、1972年には日中共同声明に調印しました。

1980年代には、国鉄などが民営化されました。

平成時代

1989年には消費税が導入され、1997年には、消費税が3%から5%へと変更されました。

2000年代、小泉純一郎内閣は郵政の民営化を行い、第一次安倍晋三内閣では、2007年に防衛庁が防衛省へと格上げされました。

2014年4月に消費税が8%になり、2019年10月に10%になりました。



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